2017.10.18 11:08第十五回:永倉新八今回は永倉新八です。新撰組の二番隊組長で、新撰組三人の撃剣師範の一人です。(撃剣師範は沖田総司、斎藤一、永倉新八)実は単純に剣術勝負なら永倉が新撰組で一番強かったと語る人もいるほどの剣の達人です。幼い頃より神道無念流を学び、青年期には道場破りをしながら剣術修行の旅などに出ています...
2017.10.17 12:22第十四回:中村半次郎四大人斬り最後は中村半次郎です。桐野利秋という名前の方がわかる方もいるかもしれません。薩摩藩士で西郷さんの右腕の男です。彼は小示現流を伊集院鴨居道場で、西田町では江夏仲左衛門から野太刀示顕流を学んだと言われています。ただ、彼はとても貧乏で、早くに父と兄を亡くし、昼夜なく働き道場に...
2017.10.16 10:48第十三回:岡田以蔵岡田以蔵は幕末四大人斬りの中でも最も有名なんじゃないかなと思います。「人斬り以蔵」として広く知られていますね。(当時は"天誅の名人"と同士達に呼ばれていたそうですが…)以蔵は土佐藩の郷士です。(土佐藩は上仕と郷士がおり、厳しく身分分けされていた)尊王攘夷派の土佐勤王党に所属し暗殺...
2017.10.15 12:11第十二回:田中新兵衛今回は幕末四大人斬りの一人、「人斬り新兵衛」こと、田中新兵衛です。薩摩藩士の尊王攘夷派です。この人に関しては資料が少ないですね。船頭の家に生まれたとも、薬売りの家に生まれたとも言われています。田中新兵衛の剣の流派は厳密には分かっていませんが、当時、最も恐れられた示現流の一派である...
2017.10.14 13:07第十一回:河上彦斎今日からは四回は幕末四大人斬りと呼ばれた侍を一人づつ紹介していきます。(幕末四大人斬りとは、幕末期の京都で暗躍した侍の中でも、特に目立った尊王攘夷派の人斬り四人です)初回は河上彦斎です。河上彦斎は、熊本藩士でとても強い攘夷思想の持ち主でした。その思想の強さから最後は処刑されてしま...
2017.10.11 19:08第十回:伊東一刀斎伊東一刀斎は戦国時代から江戸時代の初期の剣術家です。伊豆の国伊東の出身で、伊東を名乗っていたと言われている。逸話によれば14歳のころ、伊豆大島から三島まで泳いでいき、三島神社で富田一放なるものと決闘し勝ったそうです。この際、戦いを見ていた神主が感銘を受け、一刀斎へ宝刀を与えたそう...
2017.10.11 16:35第九回:國井善弥國井善弥です。昭和の武術家で動画も少しだけ残っていますね。鹿島神流第18代目宗家で、武術の達人です。その生涯数多の他流試合をおこないました。試合は相手の望む条件で行い、その全てに勝ったと言われています。その強さから「今武蔵」と呼ばれたそうです。試合の相手は剣道家、空手家、力士と様...
2017.10.11 02:16第八回:万里谷円四郎真理谷円四郎は知る人ぞ知る剣豪ですね。江戸時代の兵法家です。無住心剣術という剣術を使い(真理谷流ともいわれる)、なんと千回の立ち会いを行い一度も不覚をとらなかったと言われています。門弟も大名から平侍まで一万人に及んだと記録されています(多分相当誇張されてますねww)無住心剣術では...
2017.10.10 14:34第七回:塚原卜伝第七回は塚原卜伝を考察していきます。卜伝と言えば上泉信綱と並び戦国の剣聖と呼ばれた一人です。戦国時代の兵法家なので当然のごとく多くの合戦へ参加し力を発揮していたようです。彼の弟子曰く『真剣での立ち会いは十九度、生涯三十七度戦へ行き、二十二度敵と槍を合わせ、一度も負けず、大将首十二...
2017.10.08 11:35第六回:斎藤一前回の沖田総司に続き今回は斎藤一です。新撰組三番隊組長として活躍しました。この方も沖田総司と並び新撰組の撃剣師範(剣術指導係)です。局長の近藤勇、副長の土方歳三からとても信頼され、新撰組内部の粛清を数多く行いました。まさに暗殺剣の使い手です。身長も180㎝あったとかで大きい人だっ...
2017.10.05 15:08第五回:沖田総司沖田総司です。幕末の治安維持部隊、新撰組一番隊組長であり、剣術指南役を務めていました。(一番隊は最も重要な任務を任せられる事の多かった隊です。)9歳で試衛館へ入門。試衛館は天然理心流の道場です。ちなみに、沖田総司は天然理心流のほか北辰一刀流の免許皆伝も受けていたと言われています。...