第四回:上泉信綱
超有名、上泉信綱です。
上泉信綱は戦国時代の兵法家です。彼はその圧倒的な強さから剣聖とまで謳われました。
陰流、神道流、念流を学び、その奥義を極めたのち陰流から「奇妙を抽出」して、新陰流を大成したと資料に残っています。袋竹刀という現代の竹刀のもとになったものを開発したのも信綱です。
ちなみに彼は塚原ト伝と供に天真正伝香取神道流の松本備前守の弟子だった説が結構有力で、同時期に兄弟弟子だった可能性が高いのです。
長野氏に仕え、長野の16本の槍と称えられ、主君の長野氏からは上野国一本槍の感謝状も贈られたそうです。
合戦では武田信玄、北条氏康の大軍を相手に奮闘しました。
長野氏滅亡後その戦いぶりから再三、武田信玄から仕官要請が来ましたが全て断ったそうで信玄はひどくがっかりしたそうですね。そのとき、信玄から名前の"信"という字を贈られたという話もあります。
その後彼は弟子を連れて諸国流浪の旅にでかけ、新陰流を広めたそうです。
旅の途中で宝蔵院胤栄や、柳生宗厳を破っており、その際、彼らが信綱の弟子になっています。
とくに宗厳は信綱の弟子にすら勝てず、すぐに弟子になったそうです。
柳生や丸目等、彼の弟子達は後に大成し、様々な流派へ派生していきました。彼の弟子の流派の多くが派生後、高名な流派へと成長します。
足利義輝含め、足利家の兵法師範や、徳川家康の師範等々、当時の剣豪と言われた多くが彼の弟子になっています。
それほど信綱の技は神掛かっていたそうで、柳生宗厳は彼の"無刀取り"に破れています。(簡単に説明すると、刀を持たずして刀を持った相手を制する技です)
そこらのゴロツキを押さえ込むのとは訳が違いますね。何せ、刀の修行に明け暮れ、かなりの実力者である侍を素手で制する訳ですからよっぽど力の差がないとできません。
ランクA
ですね。実際の記録として実戦での戦いの記録が残っていないので"B"にしようか迷ったのですが、合戦で武功を称えられてる点などを考えると実戦経験も充分ですよね。
ご意見あればどうぞ!
0コメント