第三回:内藤高治
内藤高治は明治の剣豪です。
北辰一刀流を使い、京都の武道専門学校主任教授を務めていました。
当時は高野佐三郎と共に"西の内藤、東の高野"と言われ名実ともに関西の最高峰の剣士でした。
若い頃から日本全国へ修行の旅に出掛け、山篭もりなどして稽古したそう。
修行の旅から帰ると、名うての強豪達から連戦連勝の強さを見せたそうです。
彼は剣道が競技化することを嫌い、自らの稽古では切り返しや、基本の打ち等を中心に弟子にやらせていました。
ただその稽古は地獄のようにつらい修練だったみたいですね。
1、2時間の切り返しどころか、1日ほとんど休まず切り返ししたとか…
当時の道場では結構そういう無茶は多かったみたいです。最初は疲労困憊でフラフラになるそうですが、ある一線を越えるとアドレナリンが出るのかまったく疲れなくなるんだとか。(ほんとかよww)
ちなみに剣道十段の持田盛二を育てたのも内藤高治です。
内藤高治最後の試合は明治34年の武徳祭大演武会です。
高野佐三郎と対戦し、結果は一対一の引き分けだったそうです。その試合は見ていたものが涙を流すほどの素晴らしい戦いだったといわれています。
ちなみに内藤高治の剣に関してですが、修行時代は胴技をよく使ってたみたいですが、弟子に教える時は面を中心に教えていたみたいですね。
「面を打ちなさい。面を打つのが一番難しいのだから。面が取れるようになれば他は自然に打てるようになる」
だそうです。
内藤も上段を得意としており、その上段はまさに"火の位"でした。
対戦相手だけでなく周りの人達も足がすくむほどの気迫を見せたそうです。
内藤高治の凄いところは若いときに多くの山籠りをこなしているところです。
山籠りに疑問を持つ人は多いと思いますが想像以上に胆力の修行になるのです。
(私が昔空手をやっていた頃、物凄く強い先輩が修行のために山籠りをしたのですが、1日経たずに中止してました。それほど夜の山は怖いのです。)
山籠り修行を終えたなら間違いなく一皮も二皮も剥けます。ちょっとやそっとのことで動じない胆力を身に付けられるでしょう。
ということで、
ランクE
というところでしょうか。
剣道家としては間違いなく最高峰です。
ただ、試合に負けた記録が結構残っていることや、真剣で実際に切り合いをしていないことを考えると強さという点においてはやや疑問があります。
ご意見あればどうぞ!
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