第九回:國井善弥

國井善弥です。
昭和の武術家で動画も少しだけ残っていますね。
鹿島神流第18代目宗家で、武術の達人です。

その生涯数多の他流試合をおこないました。試合は相手の望む条件で行い、その全てに勝ったと言われています。


その強さから「今武蔵」と呼ばれたそうです。
試合の相手は剣道家、空手家、力士と様々で、武器を持っても持たなくても國井は簡単に一本をとってしまったそうです。
日本古武道の強さを体現した一人でした。

この方の一番有名なエピソードとしては、GHQとの決闘があります。

終戦間もない日本、アメリカから
米軍の銃剣術教官と日本の武道名人との試合が申し出されました。

日本にとっては、武道の威信をかけた試合で、負ける訳にはいかなかったわけです。
その為、日本代表は実戦の名人であることが条件でした。

そんな中、日本政府内随一の武道家である笹森順造は國井を指名しました。
当時から他流試合無敗の國井の名前は武道家内では有名だったそうです。

國井は
「そうですか、いいですよ」
と二つ返事で了解したそうです。


ちなみにこの試合はアメリカ側は本物の銃剣を使用、日本側はGHQ指定の柔らかい竹刀が渡されたそうです。(いじめかよww)

相手の銃剣術教官の米兵は、國井と並ぶと、体の大きさが二回り以上も大きかったそうです。


結局試合は開始直後、一瞬で國井が相手の米兵を竹刀で制して決着します。

相手を怪我させないよう、尚且つまったく身動き取れないように一瞬で押さえ込まれ、その圧倒的な実力差に相手の米兵も潔く敗けを認めたそうです。

この試合は結構、観戦していた人も多かったようで細かく知ることができます。
(といっても本当に一瞬で勝負は決したようですが…)

國井は相手がどう動くのかが事前に察知できたようですね。

他流試合ではいつも
"相手がこう来る、というのが決まっているかのように、國井が対応し一本をとる"
と言われるほど一瞬で決着したそうです。

國井の修行に心眼の修行があります。

國井は修行時代、新陰流の佐々木正之進の弟子となります。

師からはいつも「何を持って来い、何もついでに。」と話かけられたそうです。最初はさっぱりだった國井も、最終的には師の意思を掴むことができるようになっていた

というものです。

これにより相手の意図や、動きを先読みする事ができるようになったとか。


國井は公の場で、他流と試合をしたかったそうですが、他流からは無視されることが多かったそうですね。

彼は常に自分の流派こそが一番強いと信じていました。

ちなみに國井の鹿島神流は松本備前守が創始しました。

國井家が代々宗家を、上泉信綱など松本の弟子達が師範家を受け継いだという説もあります。

師範家は幕府からの弾圧を避けるため流派名を変え新陰流または神影流などと名乗り、12代目國井の時に宗家と師範家が統合し、國井善弥まで受け継がれたそうです。
(まあ、この話は創作された感が否めませんねww)

國井善弥、私的にはかなり強いと思っています。

ランクB

でどうでしょうか。

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