第十一回:河上彦斎

今日からは四回は幕末四大人斬りと呼ばれた侍を一人づつ紹介していきます。
(幕末四大人斬りとは、幕末期の京都で暗躍した侍の中でも、特に目立った尊王攘夷派の人斬り四人です)


初回は河上彦斎です。

河上彦斎は、熊本藩士でとても強い攘夷思想の持ち主でした。その思想の強さから最後は処刑されてしまいます。

身長150㎝ほどの小柄で、色白だったため一見すると女にも間違えられたとか。
まあ、この時代の流行りの髪型は総髪(髪を剃らず、まとめる)だし、色白の小さい人なら女に見えるかも…

文武両道で、ハッキリと自分の考えを持っていたのでしょう。思想性が見えてこない、人斬りの岡田以蔵や、新撰組の沖田総司とはやや異なっていますね。

もともとは坊主をしていたそうで、剣術は我流と伝わっているそうです。
彼は"彦斎流"と称していたそうですね。
抜刀術が得意で伯耆流居合を学んでいたという話もあります。

彼の抜刀術は片膝が地面に着くほど低い姿勢からの逆袈裟斬りで、かなりの速さだったと伝えられています。


彼は普段は大人しく、親思いで、妻子にも優しい穏和な性格だったと伝えられています。しかしその実、頑固で激烈な内面を持ち合わせていたそうですね。


勝海舟が、彦斎に関しては結構証言を残しています。(現代語にして分かりやすく要約します)

勝「河上は酷いやつさ。恐くて恐くてたまらなかったね。みんなで集まって"誰々が野心がある"などと話していた時の事さ。
奴は「ははあ、そうですか」と空返事をしてとぼけてるけど、即日斬ってしまう。
そして何事もなかったかのようにすましてやがる。喜怒哀楽をまったく見せないのさ。
また、河上はあまりにも多くの人を殺すもんだから、


勝「そんなにすぐに人を斬るもんじゃない、お前は相手が気の毒には思わないのか?」

と言ってやったら、

彦斎「あなたは私が人を斬っていることに気づいているのですね。」

勝「それは知っている」

彦斎「あなたはご自分の畑に植えた茄子やきゅうりはどうします?良い時期を見計らってすぐに沢庵にでも浸けとくでしょう?
あいつらも同じなんですよ。

いくらこっちの考えを言い聞かせても無駄なんです。
いらなくなったら早めにちぎってしまうのが一番ですよ。
あいつらはいくら殺したってなんでもありませんよ」

と笑って答えやがった」

と語っています。

こんな逸話も残されています。



酒の席で仲間が、気に入らない幕吏の話をしたところ、黙って聞いていた彦斎は立ちあがり外へ出ていった。
しばらくして、その幕吏の首を袖に抱えて戻ってきた。
そうです。(恐いですね~汗)


彦斎に睨まれたら逃れられないことから「蝮蛇の彦斎」と呼ばれていたそうです。

彦斎の家宝の刀の切れ味を確かめるため、突然近くにいた武士に斬りかかったなんて話もありますね(信憑性は低く、相当恐れられてたため、こういった話が広まったんだと思います)

京都では道で出くわすと隠れる人もいるくらい顔も知られていたみたいですね。
(近藤勇もたまたま出くわすと思わず道を譲ったという話があるけど、まあ、これも信憑性は低いですね。)

第二次長州征伐にも参加し結構活躍したみたいですね。
奇兵隊の総帥にも推挙されたそうです。


桂小五郎や、三条実美からはかなり信頼されてたみたいですけど、
新政府樹立後、"攘夷"を掲げていたもの達がつぎつぎ掌を返していくなか、
彦斎は新政府樹立後も"攘夷"を掲げていたため次第に厄介者となっていったそう。

桂小五郎から「攘夷と言ってたのは幕府を倒すため。天下をとった以上もう必要はない。面倒を起こすな。」と言われ、激怒したとか。
それから彼らとも疎遠になっていったんだとか。



彦斎に睨まれたら逃げられない事から、かつて「蝮蛇の彦斎」と呼ばれた彼のことを、三条実美は恐れて「河上彦斎が生きているうちは枕を高くして眠れない」と側近に洩らしていたそうです。


維新後は「有終館」を設立し、兵隊長として、海兵200人、陸兵100人へ、学問と兵法を教えていたそうです。

ただ、突然解雇され、大村益次郎等の暗殺事件の関与で処刑となりました。

今となっては限りなく彦斎の関与は低く、明治政府の邪魔になったので消されたという見方で間違いないようですね。


暗殺が主だったため、当然のことなが彼の殺人は明らかとなっていません。(正確には明治政府によって隠蔽されたといっても良いですね。)

ただ一件だけ、確実に彦斎が暗殺した記録が残っています。

佐久間象山の暗殺です。

なぜこの暗殺が明確になっているかといいますと、真っ昼間の人通りで白昼堂々行われた殺人だからです。

佐久間象山を暗殺した理由は正確にはわかっていないですね。
西洋の馬の鞍を使って神聖な京都の街を闊歩していたからだとも言われています。
彦斎一人で暗殺したというより、集団で(6、7人ともいわれている)で襲ったそうです。
暗殺後も彼は落ち着き払って堂々とゆっくりその場を後にしたとか。

佐久間象山は身長175㎝程のかなりの筋肉質。剣術の腕も達人クラスだったとのことです。
彼は自分の事を「国家の財産」と称するなど、かなり性格に難があったそうで、周りの人には結構嫌われていたみたいです。

ただ、「開国思想」でものすごく先見性があり、彼の弟子には勝海舟や、吉田松陰、坂本龍馬などなど、その他にも彼の思想による功績は計り知れないそうですよ。

河上玄斎も、彼を斬った際、

「おれは今まで人を斬っても何も感じなかった。だが、今日やつを斬ったときはじめて人を斬った感覚を味わった。おれはもう人を斬れない」


と語っています。事実この事件以降彼は人を斬っていないと言われています。

今回は

ランクE


ですね。
きちんと剣術の修行をした記録がないため、正面から戦った場合の強さにはやや疑問がありますが、暗殺ということでかなり場慣れしてますね。
多数で一人を襲ったりする以外にも、後ろから突然斬りかかったり…




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